広告 ブログ主自己紹介

25歳までの人生を振り返って【自己紹介】

25年間の人生に起きた濃厚な体験(いじめ・毒親・挑戦・失敗談)について、その時に乗り越えた思考や行動を振り返ってみたいと思います。

そして、25歳の新しい挑戦として知識ゼロからブログを始めました。

※内容を厳選してまとめてみましたが記事数が長くなってしまいました。

誕生・家庭環境

自分は1999年に埼玉県の田舎町に誕生。親が知り合いから2万円で借りたボロいトタンの家(のび太くんの家みたいな外観)に家族5人で暮らしていた。

雨漏りが当たり前に起こり、強風で家が軋むこともあった。鍵を忘れても物置から中に入れるセキュリティゼロの古い物件で、断熱材もなく内装も土壁でボロくて夏・冬は地獄だった。

家の裏はお寺とお墓があって夜は不気味な雰囲気が漂い、サルと鹿によく遭遇する場所で17年間生活。

このときに環境適応能力(生活水準)を獲得できたのは今の人生にプラスに働いてラッキーだったと今は感じている。

ちなみに借りていた物件の間仕切戸がすりガラスで、10枚近くガラスの代わりに板が貼られていてほぼ全て父親が癇癪を起して物を投げて割ってしまったり、弟が土壁に穴を空けてしまったが、退去するときに原状回復費用を請求してこなかった母親の知り合いの方には今でも申し訳なく思います。

家が貧乏だった理由

家が貧乏だった理由を母親に聞いたことがあった。

父親がバツイチで、そのときに購入した物件の返済に充てているからだった。

詳しく聞けば物件を母親が父親の代わりに賃貸の募集をかけて賃貸に出してローンの返済に充て、共働きでなんとかやり繰りして生活していた。

そのときから結婚が悪魔の契約では?と少し思った。

幼稚園時代

幼稚園時代は人見知りで、特に親や周囲の大人の顔色を伺う気が小さい性格だった。

この性格は父親の影響が強く。説教=暴力が身に染みていて、例えば言葉より先に手が出て家庭用の子供用プールに投げ飛ばされたり、外に引きずられて裸足で砂利が痛いなか外に出され、ときには夜に裸足で車に詰め込まれて裏山に置き去りにされたこともあった。

幼稚園の運動会で熱が出て冷えピタを貼って幼稚園の休憩スペースで横になっていた時に、先生に運動会の鼓笛隊のパレードに出れるか聞いてきたときに無理の一言がつっかえて声に出せず、断れなくて無理して出場したことがあった。

親は今でも一生懸命にパレードをしていたと感動していたが、当時は断れなかっただけで内心複雑だった。

小学校時代

幼稚園とは違い、人数が増えて環境がガラッと変わり当時から背の低い自分はいじめに合うこと多かった。

小学一年生のときは、下校中に帽子を取られたり、鍵っ子だった自分は鍵を取れたりしたけど父親に比べたらたいしたことないとスルーしてそのまま帰宅したことがあった。

そのときに気が弱いと心配した親が習い事に、週一回ある空手教室に通うことになった。

空手教室が終わる小五まで通って学んだことは、大会が嫌いになったことと、喧嘩で手を出してはいけないと言われて馬鹿正直に守る必要はなかったことだった。

空手の型の大会で一回戦で敗退して珍しく送迎してきた父親に怒られたことが現在に至るまで大会が楽しいものと思えなくなったし、いじめられて手を出さない自分は標的になりやすかった。

小六のときにやられた瞬間にやり返して、体格差もあって手も足もでなかったけど、反撃したことでその後はなにもされなかった。

行動に移らないと相手が調子に乗って辞めないので、反撃する意識を持つことはときには必要だと今は思います。

小学生時代は父親と学校生活がろくでもなかったと思うことがあったけど良かったことが一つある。

滅多に褒められない自分が初めて先生に褒められた漢字のテストや詩の暗記をして発表したりするのは継続して頑張って勉強していたので、小さいうちに褒められることは成長に繋がると今は思います

逆に怒られながら学んだことは大人になっても好きになれなず、大人になって苦手なままでした。

最近は考え方が変わって勿体ないと思うようになり避けずにとりあえずやってみるようにしています。

小学生時代の強烈な体験

小学生時代は特に強烈で、小学一年生で父親に川釣りに連れていかれ雑草に隠れた釣竿を誤って踏んで壊してしまい、川の石垣から逆さ吊りにされたり、車で途中まで置いて行かれた。

小二では妹にいたずらをして頭をテレビのリモコンで殴られて長座布団が血で染まった体験が一番記憶に残っている。

学校では靴を隠された同級生を助けたら自分がいじめられ始めて、階段でどつかれたり、小六で首を絞められ足が宙に浮いたときは、眠気が一気にきて気を失いかけたことが学校生活の強烈な体験で今でもよく覚えている。

中学生時代

小学生のときに算数と英語に躓いて、中学でも完全に手遅れの状態だった。

授業自体についていけなくて授業時間は今でも苦い過去になっています。

当時は公式の解説が呪文に思えて理解できなかった…現在は調べる媒体や情報を手に入れることができて運が良かったです。分かるようになるのが楽しい。

高校生時代

最初は家から近いという理由で志望した高校にダメ元で受験。

小学5年生頃から中学生まで英語と数学がついて行けなくて受験まで尾を引き、帰宅準備を済ませてから受験結果を確認に行くほど不合格だろうなと確信し、割り切っていた。

結果はもちろん不合格で母親は心配していたが、当時の自分はあまり悲壮感はなかった。

自分の能力を把握して受験していたのと、周囲の大人が中卒でも生活できているのを身近で見てきたからという理由。

二次募集の学校は名前が漢字で書けて、日本語が話せれば受かるという学校に入学。

この高校に入ってから躓いていた勉強がリセットされて、商業簿記1級や情報処理2級を取得したり、今度は授業についていけるように復習したり、テスト期間中に慌てないよう早めに対策をするなど良い方向に高校生デビューができた。

商業高校でお金に関する知識を習得できたのが大きかったのと、商業の勉強を通して楽しかった経験が、社会人になっても学び続けることができるきっかけになって本当に良かったです。

会社員時代⇦2024年現在

高校生時代に近い将来お金が必要になると家族を見て思い、求人の給料の良さに釣られて工場に応募した。

会社説明会で見学した工場の人事担当者が自分は一番作業したくないと口にした作業ラインにまさかの配属。

工場内で一番激務なラインで全員がロボットのような動きと早さで、入社当初は足を引っ張らないように必死だった。3.5時間の残業や休日出勤も多かったけど車で5分の通勤だったおかげでなんとかやってこれた。

ここまでお金を稼いで貯めるのに必死になった結果。

両親の離婚問題解決や妹の大学費用を立て替えたりなどのアクシデントがあっても、自分のやりたい事や挑戦したいことに諦めることが少なくなった。

現在は別の工場に転勤してさらに過酷になりましたが、やりたいことを実現するためにこれからも精進していきます。

前向き社畜から皆様へ

理不尽を経験したからこそ思うことは。

自分に対して降りかかる理不尽には逃げるか反撃するべきだと今は思います。自分の人生を食い物にするものに我慢して傷つくのはもったいない。

父親とはあまり良い関係ではなかったけど、50代で住まない住宅ローンは酷だと思い、父親から残債ありの実家を購入して、父親の住宅ローンがなくなった最後は手のひらを返すように罵倒されて完全に縁を絶ちました。

最悪な縁の切れ方でしたが、心の負担が軽くなりました。昔は帰りに家の玄関を開けるたびに緊張していたけど、今は息苦しさがなくなってどこかで心の負担だったんだと今は思います。

父親との良い思い出もありましたが、それを塗り潰す嫌な記憶が消えないので、何度も繰り返しますが、自分が傷ついてたまるかと今の環境から逃げたり、立ち向かう場面はときに必要だと改めて思います。

そして、生きる意味はないかもしれないと自分を見失ったときは、意味がないなら他人に迷惑をかけない程度に好き勝手生きて往生してやると開き直って行動してみたり、生活スタイルを変えてみるようにしています。

このブログを始めたきっかけも理不尽なことで辛くなったときに、現状を変えたい、理不尽なんかクソ喰らえ!と思ってブログを始めました。

前向き社畜の由来も、俯いたまま諦めてたまるか、前を向いて現状を乗り越えて進む気持ちで名付けました。

長くなりましたが、失敗や挑戦が多いブログ主をこれからもよろしくお願いします。

  • この記事を書いた人

前向き社畜

埼玉県の田舎暮らし、製造業に務める20代会社員。独身の21歳で住宅ローンを組み、家族にお金を貸し、なんだかんだ節約と投資によって資産1000万に到達。 筆者の失敗・経験を反面教師に参考にして頂ければと思います。

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